ところで、「娯楽は2種類に分けられる」のをご存知ですか?
「フロー概念」の提唱者で心理学者のミハイ・チクセントミハイ氏は、“能動的娯楽”と“受動的娯楽”の2つに分けられると提唱しています。
◼能動的娯楽

読書やスポーツ、将棋、楽器演奏など、集中力を要し、目標設定とスキルの向上を必要とする遊びのこと。
◼受動的娯楽

テレビやゲーム、スマホをただ見てるだけなど、集中力やスキルをほとんど必要としない遊びのこと。
ゲーム、アマプラ、マンガ…その”娯楽”に自己成長はあるか?
能動的娯楽は、自己成長を促すのに有効なトレーニングといわれています。
能動的娯楽をする時間が長い人は、「フロー状態(高度な集中状態)」に入りやすく、集中力の持続を高める効果が期待できます。
一方、受動的娯楽は特別なスキル・集中力を必要としない娯楽のため時間の浪費であり、自己成長につながりにくいとされています。
ちなみに「フロー状態」とは、人間がその時にしていることに完全に浸り、精力的に集中・没頭することで生じる“最適状態の体験”のことを指します。
スポーツでいう「ゾーン」、『テニスの王子様』でいう「無我の境地」ですね。
フロー状態は、一部の人間だけに特別に付与された才能ってわけじゃありません。
たとえば、仕事や遊びに没頭していたら「1日があっという間に過ぎた…」ってことありますよね。この感覚も「フロー状態」といえるそうです。
違いは、自己成長に繋がるか繋がらないか
「能動的娯楽」と「受動的娯楽」がもたらす影響で大きな違いは、その遊びが自己成長に繋がるか繋がらないかです。

子どもの頃、「ゲームなんて無駄だ」と親からよく言われませんでしたか。
私の場合、ダラダラとポテチをつまみながら思考停止でプレイしてたので、「自己成長につながっていたか?」と言われたら正直怪しいです。
ですが、「娯楽もどう関わるかで受動的にも能動的にもなる」というのが今回のポイントです。
たとえば、アマプラで映画を観て「オモろかった〜」だけで終われば受動的娯楽ですが、、、
✔ その映画を観る理由は何か?(目的)
✔ その映画から、どんな発見・学びを得るつもりなのか?(知見)
✔ その知見を仕事や勉強、日常生活の場で実際に活かす(応用)
目的意識を明確に持って映画を観ようとすると、選択的注意が働きます。
ざっくりいうと、自分にとって「重要である情報」を見逃すまい、聞き逃すまいとする意識が強くなるのです。

そのため、インプットの精度もおのずと高くなり、脳が受け取る情報量が増えるのです。
アウトプットが“前提”になると「サボれない」ので、インプットの精度が高まる
もしあなたが、
・映画を観ても内容をすぐに忘れてしまう
・見どころや感想を、他人にわかりやすく説明したいのにうまく伝えられない
とお悩みなら、アウトプットする(他人に説明するorブログやSNSで発信する)前提で映画鑑賞しましょう。
ポテチをつまみながら、思考停止状態でぼんやりと“受動的”に観るのではなく、
・映画の内容を友達にわかりやすく説明するために観る
・映画の見どころやレビューを、自分のSNSやブログで発信するために観る
これらの目的を遂行するために、“能動的”に観るのです。

集中して観ないことには、他人に映画の内容を説明することも、ブログやSNSで見どころやレビューを上手に伝えることもできませんよね?
そのため、「適当なことは書けない」「しょぼい感想しか書けず、赤っ恥をかきたくない」といった緊張感が生まれます。つまり、“サボれない状態”に自分を追い込めるので、インプットの精度も高くなるということ。
だから無目的でぼんやり観るよりも高度な集中力・注意力が働いて、内容の理解も深まりますし記憶にも定着しやすいといえるのです。
ちなみにTwitterの場合、「全角140文字」の文字制限があるので、要約力を高めるのにも良いトレーニングになりますよ。
いつもの映画鑑賞も「アウトプットを前提にインプットする」だけで、受動的娯楽→能動的娯楽へシフトされます。
アウトプットを前提に知識や情報やインプットすることで、学びの質が高まるだけでなく、さらなる学びを生み出すことが可能になります。

映画1本で約2時間。記憶にも残らず、これといった学びにもなってないなら相当モッタイナイ話だと思いませんか?
日常のちょっとしたシーンも能動的にシフトしてみる
私はゲームが好きなんですけど、昔はオフライン専門で息抜き・暇つぶし程度でしかやってませんでした。
ただ、楽しいけれど、休日をほぼゲームで終わらせてしまった後に生じる「ざんねんな感じ」がイヤで、「もっと意義があるものにしたい」とモヤモヤしていたんですね。
そこで仕事仲間のライターやデザイナー、エンジニアなどに声をかけて、ゲーム同好会的なコミュニティをつくりました。

すると仕事仲間との仕事以外でのコミュニケーション構築が図れたり、以前に仕事をした人とまた繋がる機会ができたりもして、案件獲得につながったりもしたんです。
無目的でダラダラと“受動的”に楽しんでいるだけだったら、こういった実利はなかったです。
もしも、あなたのかなりの時間を費やしている娯楽が“受動的”であるなら、「“能動的”にシフトできないか」を考えてみるのもオススメです。
ちなみに私の通勤中での過ごし方なんですが、電車内の中吊り広告やポスターなどをチェックして、「勝手に添削・提案するゲーム」をやってます。

💬「フォントのバランスが悪い。リュウミンに変えた方がいい」
💬「見出しの文字が2行にまたがってる必要性がない。余計な言葉を削って1行で収めた方がいい」
💬「言葉が意味的に重複してるから削った方がいい」
みたいな感じですね。もちろん、自分の好き嫌いでイチャモンつけてるわけではありません。
「これも良いと思いますが、こういうのも面白くないですか?」と理由をつけて、クライアントに提案するつもり(前提)でイメプするのです。

電車内ってわりと集中しやすい空間ですし、30分間スマホをぼんやり見て過ごすよりもスキルアップの一環になってる実感があります。
惰性や過度な受動的娯楽は“堕落”です

誤解がないように言っておきますが、リラクゼーションの時間として映画鑑賞やゲーム、スマホをいじるのは賛成です。
たとえば、ストレスの解消や疲労の軽減、仕事にも役立っているなど自分にとってプラス要素が多いと感じられるのなら、能動的娯楽にカウントして問題ないでしょう。
ただ先ほど少し触れたように、娯楽を受動的に費やす時間の方が、能動的に過ごす時間よりもずっと長い場合、改善が必要かもです。
ゲームや動画、スマホにハマる状態は“ドラッグ中毒者”と同じ
ゲームやスマホアプリって「脳が次々に見たくなるような反応」を狙って作られています。だから見始めると止まらなくなります。
調査によれば、YouTubeなどの動画を目的なく連続視聴しているときの脳の状態は、ドラッグ中毒者と同じ依存状態だそうです。
惰性で目的なく続け、不必要に過度な受動的娯楽は“堕落”です。

また、目的意識が明確だった能動的娯楽でも、いつの間にか受動的娯楽へシフトしまっていた場合もあると思います。
娯楽も明確な「目的」があれば、発見や学びなどの「知見」が得られます。その経験を、仕事や勉強・日常生活の場で活かせている実感があれば、ちゃんと「有益」だと思います。
ゲームやアマプラ、マンガなどあなたの生きがいとなっている娯楽だからこそ、“能動的“”と“受動的”のバランスを考える必要性が大いにあるはず。
受け身のままで終わらせず、能動的に楽しんでこそ身になり「自己成長につながる」はずです。
ということで、アマプラで“能動的”に映画鑑賞してみましょう
本記事の内容を実践する意味で、アマプラで能動的に映画鑑賞してみてください。
以下は私チョイスの、アマプラで無料視聴できる学びの多い映画です。
どれも普遍の名作ですよ。
①:ショーシャンクの空に (1995年/フランク・ダラボン監督)
②:最強のふたり (2012年/エリック・トレダノ監督)
③:フィールド・オブ・ドリームス (1989年/フィル・アルデン・ロビンソン監督)
④:シェフ 三ツ星フードトラック始めました(2014年/ジョン・ファブロー監督)
⑤:最高の人生の見つけ方(2007年/ロブ・ライナー監督)
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ゲームやアマプラ
(Amazon Prime Video)、マンガが大好きなHiraQです。
娯楽は仕事・勉強を頑張るために必要なものですよね。娯楽があるから頑張ろうという気にもなれるってもんです。